2007-02-14-Wed [長年日記]

お。バレンタインディ、しかも会社はお休み

奥さんの方から数種類、総額一万円ほどのチョコレートをいただいているので、お返しね、と言われてます。おいしい思いはしました。

メリーチョコレートはおいしい。

http://www.mary.co.jp/

[] 下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち (単行本) 内田 樹 (著) 下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち (単行本) 内田 樹 (著)

以下、引用。

養老孟司先生「これからは生きるためのマニュアルがない時代であるから、各自で工夫しなければいけない」「そのひとが話を聞く前から持っている手持ちの枠組みの中に聴いた話を全部収めようとする。枠に収まらない部分はカット。聴いてわかるところだけ拾う。自分が同意できるところだけしか聞いてないんです」話は最後まで聞いて、最初から反芻すること。本を読んでいる間にわからない言葉があっても「この方たちは意味がわからないことにストレスを感じないということです。そのことを特に不快に思っていない。それは、彼らは「自分の知らないこと」は「存在しない」ことにしているということです。」小学一年性が開口一番「先生、これは何の役に立つんですか?」と聞いてくる。その答えは「答えることのできない問いには答えなくてよいのです。」等価交換する子どもたち。労働主体からはじまっていた自分がまず消費主体で始まり(生まれて初めての社会経験は買い物)「教育の逆説は、教育から受益する人間は、自分がどのような利益を言えているのかを、教育がある程度進行するまで、場合に世っては教育課程が修了するまで、言うことができないということにあります。」孔子の「君子の六芸」礼、楽、射、御、書、数。リスクヘッジhedge 能力主義(メリトクラシー)「リスク社会には自己決定、自己責任を貫けるような強者は存在せず、迷惑をかける相手もかけられる相手も持つことができない膨大な数の構造的弱者を作り出す。」「生徒達は単に「学校でよい成績を取ることは人間の価値に関係ない」という学校神話への否定にとどまらず、さらに踏み込んで「学校で悪い成績を取ることは人間の価値を高める」という反-学校神話に同意し始めていることがわかった。」日本型ニート(Neet=not in education,employmennt or training)「どう考えても「ねじれ」がある。「自己決定」というのは「他の人が何と言おうと、私は私の決めた通りのことをやる」ということですけど、今日本で語られている事故決定論というのは「他の人が何を言おうと、私は私の決めた通りのことをやる」というのを「みんなのルールにしませんか?」というものです。これ、変ですよね?「私は誰の同意も得ずに好きなことをやります」と宣言した人が「この点について、ぜひみなさんのご同意を賜りたい」と言い出したら、おかしいでしょう。」「労働とは本質的にオーバーアチーブなのです。労働は等価交換ではありません。労働者は自分が創出した労働価値よりも少ない賃金しか受け取れないというのは経済の基本です。そこから生じた余剰が、交換を加速してゆき、その結果、市場が形成され、分業が始まり、階級や国家ができあがる、とういうかたちで人間社会は作られてきた。」「大学には「シラバス」というのがあってジョブ・ディスクリプション(労働契約)であるが、これはこの科目の目的は何で、教育方法はどのようなもので、何月何日にどういう主題でどういう学術情報を提供する、とかかれてあるが、これは高等教育の自殺の一つの兆候だと思われる。」「これを僕は「メンター(先達)のパラドックス」と呼んでいます。武術でも芸術でも、何かを習おうとするとき、仮にそこに何人かのメンター候補者がいたとします。誰に就いて学ぶべきか、僕たちはその中から選ばなければならない。でも、僕たちはこれから学ぶ知識や技術についてよく知らない。よく知らないからこそ「学びたい」と思っているわけだから、知らなくて当然です。しかし、よく知らない分野のことについて、誰が技芸にすぐれており、誰が自分をあやまたず目的地に連れて行ってくれるのかを決定しなくてはならない。でも、初心者はその定義からして、「目的地」がどこだかよくわかっていない。自分がどこに行くのか知らない人間が自分を目的地に連れて行ってくれる人間がだれであるかを言い当てなくてはいけない。これを「不条理」と申し上げたのです。」「学びはこの瞬間に起動します。なぜなら、自分自身の価値判断を「かっこに入れる」ということが実は学びの本質だからです。」「「師であることの条件」は「師を持っている」ことです。人の師たることのできる唯一の条件はその人もまた誰かの弟子であるということです。それだけで十分なんです。弟子として師に仕え、自分の能力を無限に超える存在とつながっているという感覚を持ったことがある。ある無限に続く長い流れの中の、自分は一つの環である。長い鎖の中のただ一つの環にすぎないのだけれど、自分がいなければ、その鎖はとぎれてしまうという自覚と強烈な使命感を抱いたことがある。そういう感覚を持っていることが師の唯一の条件だ、と。」

[歯医者] 上の歯の歯石取り

今回で一応終了。半年後、点検にきてください、ということ。

今回は虫歯はなかったのだから我ながら歯磨きがっばっているが、この間歯石を取り除いた下の前歯の内側にもう歯石が付いていると取ってもらった。歯磨きは丁寧にね。

第16代・第18代WBC世界スーパフライ級チャンピオン 徳山昌守

世界戦11勝1敗。

Number誌672のナンバーノンフェクションより。

父が生誕の際に手紙を書いたそうだ。

「昌守君、御誕生おめでとう。5人目なのでオモニもなれたもので、さしてあわてなかったが、アボジは絶対男の子がほしかった。10ヶ月もオモニのお腹の中で苦しかったろう。此からは自分の足で世の中へ出て行きなさい。世の中に出ると、自分がいかに一人で道を選び進まねばならないかわかってくると思う。その為に人の倍努力しなさい。道しるべとしてアボジは昌守君に次の事を言って置きたい。

一、兄弟は仲良く助け合いなさい。

一、真を選ぶ智と真を通す勇を身につけよ。

一、何事にも腹をすえ腰を落ちつけてかかれ。

一、朝鮮人として生きよう。」

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