2004-04-23-Fri [長年日記]

雨である。しっとりしている。たまには雨の日もよいかな。 宇多田ヒカルのベストを聞いている。 一週間のうち日曜以外の6日連続して働くと、とても疲れる体になってしまっていて、時々連続労働すると、はあはあとなるな。 「嘔吐」の中、あふれる語彙に圧倒される、1905年生まれのサルトルがこの小説を書いたのが、1938年、33歳か。「頭の変なおじさん」の章。 そのまえには。
「----コーヒーはどこにありますんで。
------買ってきてよ。」
P83
私はアニーの手紙を書類入れの中に滑り込ませる。それが可能な限りのものをわたしに与えたからだ。こ
の便箋を手に取り、たたんで封筒に入れたひとりの女まで、考えを遡(さかのぼ)らせることはできない。過去の
だれかを考えることぐらいは可能なのだろうか。私たちが互に愛しあっていた限り、ふたりで過すほんの
わずかな瞬間も、ごくつまらない苦労も、それが私たちから離れて背後に残ることを許さなかった。一
日の音や匂いや微妙な色調、互に打明けなかった考えさえすべてを私たちは持って行き、すべてはいき
いきとした形で残っていた。私たちはそれらのものを現在において愉しみ、また苦しむことをやめな
かった。ひとつの思い出とてなかった。あったのは灼けるが如き強烈な、影も交代も避難所もない恋愛
だけだった。三年の月日が、そっくりそのまま現存していた。しかしそのために私たちは別れたのであ
る。この重荷に耐えるだけの力がもう充分には無かったからだ。そしてアニーが私から去って行ったと
き、三年の月日がひと塊りとなり、一遍で過去の中に崩れ去った。私は、苦しみさえしなかった。自分
が虚ろになったのを感じただけだった。それから、時間が再び流れだし、虚ろが拡大した。それから、ハノ
イで私がフランスへ帰ろうと決心したときも、まだ私の記憶に残っていたあらゆるものが
---外国人の顔とか、広場とか、長い河に沿った河岸などといったものが---みな消え失せた。かくて
私の過去は、もはや一個の巨大な穴でしかない。私の現在と言えば、カウンターのそばで夢想している
黒いブラウスの給仕女と、あの男だ。私が自分の人生について知っていることは、すべて書物から学ん
だように思われる。ベナレスの宮殿、癩(らい)王の露台、大きな壊れた階段のあるジャワの寺院などは、一瞬、
私の眼の中に映されたが、それらはそれぞれの場に残っている。プランタニア・ホテルの前を通る電車
は、夕方ネオンサインに彩られるホテルの看板をその窓硝子に映すが、その反映を攫(さら)ってはゆかない。
電車は一瞬真赤に燃え上がるけれども、黒々とした窓硝子のまま遠ざかって行く。
P105-106

あれ、こんなに軽く当てるだけで剃れたっけ

新しいブラウンの髭剃りを使ってみる。う、こんなに軽いタッチで皮膚に当てるだけで、快適に剃れるなんて、すごい。気持ちよい。軽い感じもする。いいないいな。

今日の午後、集中治療室から一般病棟に移動

それはよかった。心も体も落ち着いたかな。

[こども] 奥さんの両親におもちゃを2つ買ってもらう

室内用のジャングルジム、外で遊ぶ車。「Boo!Boo! TOPPY」「ビッグジム」

夜、帰ってから、奥さんが組み立て、押し込むのは僕の仕事。眠いのでぐずっていたが、すべり台付きジャングルジムに大はしゃぎ。

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